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非常に独特な「民俗」の定義:畑中章宏『忘れられた日本憲法 私擬憲法から見る幕末明治』

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わたしは「私擬憲法」なるものを本書ではじめて知った。

「幕末維新から憲法発布に至るまでの二〇年あまりのあいだに、数多くの国家構想が表明された。こうした国家構想のうち『憲法』の草案といえるものが、現在までに九十数種確認されている。こうした大日本帝国憲法の発布以前に作成された憲法草案を『私擬憲法』と呼ぶ」

畑中章宏[2022]『忘れられた日本憲法 私擬憲法から見る幕末明治』17p,亜紀書房

本書では宇加地新八・竹下彌平・小田為綱・植木枝盛・千葉卓三・田中正造・元田永孚などの「私擬憲法」を取り上げ、各々の人物や彼らが生きた時代、環境から それぞれの「私擬憲法」 が作られた経緯に迫るものである。「私擬憲法」というテクストを、その作者や時代を通じて読み解くもので非常に面白い。個人的には、 小田為綱が関わったとされている「私擬憲法」が一番興味深いものだった。

畑中氏の独特な点は、これらの「私擬憲法」を「民俗」だと捉えていることである。

「明治の私擬憲法には、幕末維新を越えてきた民衆の『こころ』と『からだ』に裏打ちされた夢や希望が映し出されている。私はこうした“忘れられた”明治の憲法草案を、貴重な民俗文化と捉えて、その意味を考えていきたいのである」

畑中章宏[2022]『忘れられた日本憲法 私擬憲法から見る幕末明治』18p

非常に独特な捉え方である。まず、試みに文化財保護法における民俗の定義を引用してみよう。

「衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術及びこれらに用いられる衣服、器具、家屋その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの(以下「民俗文化財」という。)」

「文化財保護法」第二条第一項第三号

文化財保護法では、上記のとおり「国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」を民俗文化財としている。手元にある日本民俗学の概論書から、民俗あるいは民俗学を定義している部分を抜き出してみる。

「民俗学は、全国各地において世代を超えて伝承されてきたならわし、しきたり、いいつたえという民俗事象を資料として研究する学問である」

福田アジオ・宮田登(編)[1983]『日本民俗学概論』265p,吉川弘文館

「柳田以来の日本の民俗学が対象としている民俗とは何か、それは簡単にいえば人々の生活習慣である。生活の中の経済・宗教・藝能などの諸側面における慣習と伝承である」

新谷尚紀(編著)[2022]『民俗学がわかる事典』83p ,角川書店

「民俗学は、『普通の人々』の『日々の暮らし』が、なぜ現在の姿に至ったのか、その来歴の解明を目的とした学問である」

菊池暁[2022]『民俗学入門』231p,岩波書店

「民俗学は、各地に伝承されているさまざまな生活習慣を資料として、日本人の生活の変遷を明らかにしようとする学問である」

上野和夫ほか(編)[1987]『新版 民俗調査ハンドブック』p1,吉川弘文館

おおむね、文化財保護法と同様の内容のものを指していると言ってよい。ただし、民俗のイメージに関しては、それぞれの研究者によって差があり、その差について室井康成は次のように述べている。

「厳しい言い方だが、今のところ『民俗』とは一種の共同幻想であり、しかもその具体像は研究者によってかなり相違があり、けっして一枚岩的な表象ではない」

岩本通弥ほか(編)[2021]『民俗学の思考法 <いま・ここ>の日常と文化を考える』182p,慶應義塾大学出版会

たとえば、下記のような考え方もある。

「民俗学という学問は、覇権主義を相対化し、批判する姿勢を強く持った学問です。強い立場にあるもの、自らを『主流』『中心』の立場にあると信じ、自分たちの論理を普遍的なものとして押しつけてくるものに対し、それとは異なる位相から、それらを相対化したり超克したりしうる知見を生み出そうとするところに民俗学の最大の特徴があるのです」

島村恭則[2020]『民俗学を生きる ヴァナキュラー研究への道』10p,晃洋書房

さまざまな定義のある「民俗」のなかでも、畑中氏の定義は独特だと思われる。先の引用文は次のように続く。

「ここでいう『民俗』とは、共同体的な習慣や感情をもとにした行動、現象、文化を意味する。つまり、近世から近代をまたいで生きた人間の感情が、私擬憲法には込められているに違いないと、私は想像しているのだ」

畑中章宏[2022]『忘れられた日本憲法 私擬憲法から見る幕末明治』18p

この具体例として、米沢藩士だった宇加地新八の「私擬憲法」を取り上げ、次のように述べている。

「日本の近代化は共同体の規模が広がったにすぎず、自分の『郷土』をどういう理想に導いていくかという思いから、宇加地を憲法構想に駆り立てたのではないか。もしそれが、ナショナリズム(国家主義・民族主義)に満たない、ある意味、素朴な愛郷心や郷土感情によるものだとしたら、宇加地の営為はじゅうぶんに民俗的なものだといえるのではないだろうか」

畑中章宏[2022]『忘れられた日本憲法 私擬憲法から見る幕末明治』49p

先に紹介した定義では、室井のいうように一枚岩ではないとはいえ、生活習慣に注目し、その移り変わりに注目している点は共通である。一方、畑中氏の定義では「感情」に重きをおいているといえる。

はたして「感情」を基準とした「民俗」は、何を明らかにし得るのだろうか。

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