
※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。
大正七年の夏、柳田国男を含めた郷土会によって旧相模湖町若柳及び寸沢嵐地区の調査が行われた。「内郷村調査」と呼ばれているもので、日本ではじめての共同村落調査であると言われている。
この報告は、その調査を受け入れた側の人物のひとり、鈴木重光が収集した資料に関するものである。
鈴木が収集した資料は、津久井郡郷土資料館に収められていたらしい。津久井郡すべてが相模原市に合併した後も、後身の津久井郷土資料室に収蔵されていたが、建物の解体にあわせて市立博物館に移管になったそうだ。 報告の中身は、鈴木が柳田とどのような交友関係を築いていたのかに焦点が当てられている。それはそれで民俗学史の一片として面白いのだが、もっと興味深いのは資料の整理についてだった。
報告によれば、資料室の資料は約40,000点におよぶらしい。それを整理しているのは、民俗担当の学芸員と「水曜会」である。
40,000点の資料の整理と言われても、よくわからないと思う。が、とても大変な作業であるということは伝えてみたい。
昨日自分が担当した企画展の展示資料は、約100点だった。自分も民俗担当なので、比較的多い方かもしれない。今回の報告の資料の数は、その400倍である。もし 100点ずつ資料を展示したとしても、400回分の展示ができる。
とにかくこれは気の遠くなるような作業だ。それを着実に行ってきた執筆者の方々は、本当に大変だったと思う。ぜひとも自分も見習いたい。それに「水曜会」という名称も良いではないか(その理由は「木曜会」と「柳田国男」でand検索していただきたい)。
資料の整理という作業については、そのうち書いてみたいと考えている。