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『明治大正史 世相篇』「自序」(『定本 柳田國男集 第二十四巻』p129-) 2018.05.27 23:30

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思うところがあり、柳田の『明治大正史 世相篇』を読むことにした。折口の全集の通読は、それはそれとして進める。   この本の「自序」を読みわかるのは、柳田が民俗の研究についてかなり慎重だということである。その姿勢を抜き書きするに先立ち、柳田のこの著作における研究法について抜く。

「自分は現代生活の横断面、即ち毎日我々の眼前に出ては消える事実のみに拠つて、立派に歴史は書けるものだと思つて居るのである」(129p)

柳田の「フオクロア」は、対文献史学として構想されたものだと大学で教わったことがある。いまその当否について判断できるほどの勉強をしていないが、柳田の文章を読む限りでは誤りではないと考えられる。

「尚一事附加へたいと思ふのは、此書が在来の伝記式歴史に不満である結果、故意に固有名詞を一つでも掲げまいとしたことである。従つて世相篇は英雄の心事を説いた書ではないのである。國に偏満する常人といふ人々が、眼を開き耳を傾ければ視聴し得るものの限り、さうして只少しく心を潜めるならば必ず思ひ至るであらう所の意見だけを述べたのである」(p131-132)

当時における文献史学はそうだったのかもしれない。それもわからない。ただ私にも現在の事情はわかる。いま一緒に働いている文献史学の学芸員の仕事をみる限り、「英雄の心事」にのみ心を奪われていることはない。近世の文書から、普通の人々の生活をも追求しようとしている。   話が逸れた。本筋に戻ろう。柳田の慎重な姿勢は、気軽に「民俗学」を名乗らせない。

「此方法は今僅に民間に起りかけて居て、人は之を英国風にFolkloreなどと呼んで居る。一部には之を民俗学と唱へる者もあるが、果して学であるか否かは実はまだ裁決せられて居ない。今後の成果によつえ多分『学』と謂ひ得るだらうと思ふだけである。而もさういふ人たちの中には、専ら其任務を茫洋樽古代歴史の摸索に局限しようとする傾向が見えるが、之に対しても自分は別な考を持つて居る」(129p)

同時代的な研究動向を知らないが、折口のことが含まれているだろうと想像してもいい。彼の代表作『古代研究』は、まさに柳田の言うような仕事だった。また折口も柳田の批判は承知していたらしい。だから、『古代研究』の「追ひ書き」では、柳田の研究方法からの乖離について述べている。  

だからこそ、柳田はこの作品を書いた。古代ではなく「現代生活」の研究において、「フオクロア」で歴史を描くために。   最後に柳田にとっての「フオクロア」のやり方について引いて終わりにする。

「自分が此著に於て幾分か論評式の筆を遣つたのは、斯うでもしなければこの有りふれた世上の事実に、改めて読者の注意を惹くことが出来ないからの窮策であつて、決して資料の乏しいのを補はうといふ為では無かつた。資料は寧ろ過多といふまでに集積して居た。ただ方法が拙ない故に、甲乙丙を分類比較して、その進化の経路を一目に明瞭ならしむることを得なかつただけである。それが出来ないといふのはフオクロアとしては失敗である」(131p)

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