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「神道に現れた民族論理」(『折口信夫全集第三巻』) 2018.04.24 23:45

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※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。

いくつものキーワードが出てくる作品だが、おそらく「みこともち」を中心にそれぞれの理論が展開している。  

「日本人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の處で、最も古い文章だと思はれるのは、祝詞の方をつくつた咒詞であつて、其が、日本人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである」(154p)

  折口は言葉を通じて「日本人の思考の法則」に迫ろうとする。その対象となったのは「天之御蔭・日之御蔭」であり「たまふり」であり、そして「みこともち」だった。  

「みこともちに通有の、注意すべき特質は、如何なる小さなみこともちでも、最初に其みことを発したものと、少なくとも、同一の資格を有すると言ふ事である。其は、唱へ事自体の持つ威力であつて、唱へ事を宣り伝へてゐる瞬間だけは、其唱へ事を初めて言ひ出した神と、全く同じ神になつて了ふのである」(156p)

  唱え事が持つ「威力」、その言葉を伝える者が伝えられたより上位の存在と同じ資格を持つようになるという効果。折口はさらにこの考えを推し進めている。  

「其詞を唱へると、時間に於て、最初其が唱へられた時とおなじ「時」となり、空間に於て、最初其が唱へらへた處とおなじ「場所」となるのである。つまり、祝詞の神が祝詞を宣ベタのは、特に或時・或場所の為に、宣へまたものと見られてゐるが、其と別の時・別の場所にてすらも、一たび其祝詞を唱へれば、其處が又直ちに、祝詞の発せられた時及び場所と、おなじ時・處となるとするのである」(p161-162)

「をち」という不老不死に関する理論、「水の女」(『折口信夫全集第二巻』)で述べられていた「そんな寿命の人を考へる原因」(131p)が、この「みこともち」という「思考の法則」によるものだということがわかる。  

折口信夫の著作の読み方がわかりはじめたように思われる。以前に読んでわからなかった言葉や考えが、後の著作を読むとすんなりと理解できるようになることがある。また、以前に述べられていた理論が繰り返し、丁寧に述べられることがある。  

そのときに気になったなりわからなかったなりした言葉をどこかに控えておかないと、中途半端な理解にしかならない。たとえば、いま私は「標山」という単語を拾わなかったばかりに、中途半端な理解に陥っている。   これからはもっと抜き書きが増えそうな予感がしている。

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