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「大嘗祭の本義」(『折口信夫全集第三巻』p174-) 2018.04.25 23:05

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※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。

第三巻も半ばにきて、折口の術語オンパレードの感がある。ちなみに、第四巻からは万葉集なので、それはそれでしんどいように思う。   まずは「まつり」の意味の変遷を述べている。  

「まつるといふ語には服従の意味がある。まつらふも同様である。上の者の命令通りに執り行ふことがまつるで、人をしてやらせるのをまたすといふ」(176p)

「後には、少し意味が変化して、命令通りに執行いたしました、と神に復奏する事をも、まつるといふ様になつた」(同前)

「祭政一致といふ事は、まつりごとが先で、其まつりごとの結果の報告祭が、まつりであると考へて居る。祭りは、第二義的なものである。神又は天子様の仰せを伝へる事が、第一義である」(179p)

「古い時代のまつりごとは、穀物をよく稔らせる事で、其報告祭がまつりである事は、前にも述べた。(略)所が穀物は、一年に一度稔るのである。其報告をするのは、自ずから一年の終りである。即、祭を行ふ事が、一年の終りを意味する事になる。此報告祭が、一番大切な行事である。此信仰の行事を、大嘗祭と言ふのである」(180p)

  第一義から第二義という捉え方は、複数の単語に共通する折口の考え方らしい。  

「古代信仰に於ける冬祭りは、外来魂を身に附けるのだから、ふるまつりである。處が後には、此信仰が少し変化して、外来魂が身に附くと同時に、此魂は、元が減らずに分割する、と考へて来た。此意味が、第二義のふゆまつりである」(190p)

「元は、外来魂を身に附ける事が、第一義。更に、分割の魂を、人々の内身へ入れてやる事。此が、第二義。そして、鎮魂を意味するのが、第三義である」(191p)

  ここまで読み進めてきて、「標山」が重要な位置を占めているであろうことに気づきはじめた。  

「標の山は神の目じるしとしてのものである。だが後には此標の山は、どうなつて了うたかわからぬ。併し、此標の山の形のものは、近世まで、祭りの時は引き出す。屋台とか、山車とか、お船とかいふ様なものは、此標の山の名残利の形と見る事が出来る」(219p)

  言っていることはわかるような気がするが、この裏にある折口の理解、思考の過程は読み取れない。これまで読んできた著作のなかに、ヒントがあったはず。もう一度、標の山に関してだけ読み直しても良いかもしれない。   この作品には、「禊ぎ」と「祓へ」との違いについて述べられている。それは術語として重要なはずだ。それと祓へに関係して、他人の家に入るときの外套(正確にいえば、蓑)について述べている。これはとても面白いので、後日改めて記事にしようと思う。

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