
※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。
どうにもこの作品は、今まで読んできた作品と連結しないところがあるらしい。少し書かれた時期がずれているのではないかと疑ったが、最近読んでいる他の作品とそう変わらない。 この作品で繰り返されるのは、「言語伝承」に関する記述だ。
「元来、民間伝承は、言葉の外は、何も伝へるものが無かつた訳であるから、言語伝承は伝へるものの総てだ、と考へてよい筈である。而も、言語といふものは、直ぐ消えて了うて、そこには、ただ信仰的なもののみが残る。それで、咒詞・唱詞系統のものが、永遠の生命を保つ事になるのである。そして、記録が出来ると、伝承の為事は、それに任されるやうになる」(p438-439)
「言語伝承」は折口の民俗資料の五分類のうちの一つである。これが突然に著されているように思える。これ以前のほかの著作ですでに考えられていたものだと考えられるが、この単語は利用されてこなかった。折口自身が例示してくれているのは、天つ罪と国つ罪とについてである。
「あまつつみ、くにつつみといふ言葉がある。此については、既に書いた事もあるが、あまつつみは、くにつつみに対してゐるとされてゐるが、さうではなさ相である。すさのをの命が、天上で犯した罪の償ひに、其時期になると、天上のことを地上にうつして、我々がせねばならぬ慎しみ、即日の神、日の神の作物に対する物忌みが、あまつつみである」(p448-449)
「端的に云ふならば、あまつつみは、あめつつしみである。言ひ換へれば、ながめいみと言ふ事だと思ふ。この言葉は、万葉にもあつて、雨づつみとも云うてゐる。物忌みは、五月と九月の二度あつて、其中、五月のが主である。それは、ちようど霖雨の時だから、此をながめをすると言ひ、更に略して、ながむと言うた。この慎しみの期間は、禁欲生活をせねばならぬのである」(449p)
どこかで読んだはずなのだけれど、抜き書きしていないらしい。そのうち調べてみようと思う。「言語伝承」についても、ヒントが少なくよくわからない。おそらく、作品の最後で述べられている「日本の伝承の素質」がキーワードになる。
「言語の上に、比喩的な効果を、出来るだけ豊かに、考へてゐた時代が、古くからあつたのである。結局は、此を唱へるのに、効果ある口頭伝承が少ないため、それをいろいろに融通する事になるので、どうしても、八心思兼でなければならなくなる。即、一つの文章や単語が、いろいろの意味に考へられるのである。此處に、日本の言語伝承が、推移せねばならぬ理由があつた」(445p)
「口頭伝承」と「言語伝承」は、分けて考えるべきだろうか。この作品から考えると、同じ意味で使っているように思われる。もしくは、後者が前者を包括するものなのか。後の作品も読んでから判断したい。