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「口譯萬葉集」巻四(『折口信夫全集 第四巻』p153-) 2018.05.29 23:15

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※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。

「君により、言の繁きを、故郷の飛鳥の川に、禊ぎしに行く/わたしが何処へ行くとお尋ねになるのですか。あなたの為に、彼此と評判を立てられましたのをば、洗ひ浄める為に、さびれた都、飛鳥川へ出掛けて行くのです」(186p)   禊ぎか祓へか。身にまとわりついた悪いものを祓うという考えからは、祓へというべきだろう。だが、ここでは禊ぎという言葉が使われている。  

折口は、吉事に祓へはなく、吉事のために行うのは、禊ぎだったとしている。

「たなばたと盆祭りと」(『折口信夫全集第三巻』p277-)

「たなばたと盆祭りと」(『折口信夫全集第三巻』p277-)

文字通り、「たなばた」と「盆」について、考えている作品である。それぞれに折口理論を適応させて、理解しようとしている。前者には「祓へ」を、後者には「みたまのふゆ」を当てている。今回は前者を取り上げる。「

明日はねぇぞ~民俗学に関するアレコレ 折口の解釈を採用するならば、すでに万葉の人のあいだでも、禊ぎと祓へが混同されていたと捉えるべきか。   これが吉事のための禊ぎであると考えてみるのはどうだろうか。歌を読む私が待つのは、何か。「君」しかいないだろう。  

もし吉事のための禊ぎをしたとなれば、恋する人を待つ歌として解することもできるのではないだろうか。

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