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「口譯萬葉集」巻一(『折口信夫全集第四巻』) 2018.05.18 22:33

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※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。

どうにも抜き書きがしづらい。鑑賞になってしまう。民俗学的な想像力に基づく解釈と思われる部分を中心に抜いているが、数は多くない。紹介もただ自分の興味がある歌について述べるだけになりそうだ。

「古の人にわれあれや、漣の古き都を見れば悲しも/自分は、今の世の人間である。それに、昔の漣の縣の古い都の跡を見ると、悲しくなつて来る。ひよつとすれば、自分が、昔近江の朝廷に仕へてをつた人なのであらうか。なんだか、昔の人の様な気がする。此歌は、時代錯誤に興味がある)」(22p)

時代錯誤への興味は、おそらく、天皇の長寿と死に関する考えの延長だろう。つまり「みたまのふゆ」理論に関係するのではないかと考えているらしい。「みたまのふゆ」については、「七夕と盆祭りと」(『折口信夫全集第三巻』所収)で述べられていた。

「たなばたと盆祭りと」(『折口信夫全集第三巻』p277-)

万葉の歌には旅に関するものが多く、万葉びとの旅の感覚など、なかなか面白い。   「引馬野に匂ふ榛原、入り乱り、衣にほはせ。旅のしるしに(長ノ意吉麿)/引馬野に来て見ると、榛の花が群つて、ほのぼのと咲いてゐる。その中にやたらに這入つて、その色を、衣に着けたらどうだ。旅をした記念に」(31p)   衣を花で染めて、旅の記念にするなんて、洒落ている。旅をした記念を持ち帰ろうとする感覚は、いまを生きる私たちにも通じるはずだ。   観光とは、メディア等によりよく見知ったものを、少しだけ楽しむこと(要約なので正確ではない)という定義もあるけれど、はたして。   この作品では、歌に対して、折口の評価が記されていることがある。次の歌は、「傑作」とされていた。

「うらさぶる心さまねし。ひさかたの天の時雨のながらふ、見れば/心寂しいやうな気分が、一ぱいにひろがつて来る。今、天から落ちる時雨が降つてゐる。それを見ると。(傑作)」(37p)

観察によって描き出した景観と、思考によって浮かび上がらせた心情とが、分けられることなく述べられている。確かに傑作のような気がする。が、やはり折口らしく、説明はしてくれないので、何をもって傑作としているのかよくわからない。   巻二まで読み進めたが、なかなかしんどい。ゆっくり読んでいこうと思う。  

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