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「たなばたと盆祭りと」(『折口信夫全集第三巻』p277-)

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※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。

文字通り、「たなばた」と「盆」について、考えている作品である。それぞれに折口理論を適応させて、理解しようとしている。前者には「祓へ」を、後者には「みたまのふゆ」を当てている。今回は前者を取り上げる。

「神又は神に近い生活をする者を、直人から隔離すふのがたなの原義で、天井からなりと、床上になりと、自由に、棚なるものは、作る事が出来た訳である」(278p)

「異郷人と交易行為を行ふ場所は、かうした棚を用ゐたので、その更に起源をなすものは、棚に神を迎へ、神に布帛その他を献じた所かは、出てゐるのである」(279p)

「この棚にゐて、はた織る少女が、即棚機つ女である」(280p)

布を織りつつ神を待つ少女を想定するのは、七夕の行事に「禊ぎ」の要素が含まれるからだと思われる。こう考えてくると、七夕で行われるのは、凶事に対する祓へではない。吉事に対する禊ぎだ。  

その後に、「送り神に託して、穢れを持ち去つて貰はうといふ考へを生じてきた」(281p)のだろうと考えている。「貴種誕生と産湯の信仰と」(『折口信夫全集第二巻』)では、吉事祓へを禊祓の本義とし、凶事祓へを二義的だとしている。さらに、「大嘗祭の本義」(『折口信夫全集第三巻』p174-)では、本来、吉事に祓へはなく、「吉事をまつための、迎ふる為の行事は、禊ぎである」(221p)と述べている。  

吉事祓へと凶事祓へに対する折口の前後関係の把握は明らかであるが、祓へと禊ぎの前後関係は明らかではない。   何となく吉事祓へは、祓へと禊ぎとがあり、禊ぎの観念が祓へにまで広がった、と考えているのではないかと思われてくる。七夕という行事に対しては、禊祓の意味を、「禊ぎ」から「祓へ」へ変化した、と考えているようだ。  

今後、禊ぎと祓へとの前後関係を論ずる作品があり、かつ禊ぎから祓へへという変遷を考えたなら、おそらくその要因は七夕の分析にある。実際の事例を集めてみたくもなってくる。  

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