
※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。
今年二月に発行された『日本民俗学』をいまさら読んでいる。特集が「日本民俗学の研究動向(2012-2014)」なので、なかなか読み進められずにいる。
いずれの研究分野についても、読んでみたい論文・本をリストアップするだけで、抜き書きした部分は少ない。ただ研究動向のなかにも気になる部分はある。
「最後に博物館における本分野に関する調査・研究について述べておきたい。筆者は数年前まで都心の地域博物館に十数年勤めていたが、そこでは人生儀礼に関する資料収集は減少傾向にあった」(58p)
私が勤務する館についても同様だ。いまの館に勤めて三年になるが、人生儀礼に関する資料はほとんど受け入れていない。記憶の限りでは、祝儀・不祝儀の際に利用するデーケーという漆塗りの大型椀のみだ。
「人生儀礼が減っているからだ」という指摘は一面の事実ではあるけれど、まだ足りないようだ。加藤氏の指摘はさらに一段進んでいる。
「人生に関する事例自体は依然として行われ、一部では増大傾向にあるものの、それらに私用される道具はレンタルや代用品が多く、自宅にはモノとして残されていないという実体は、儀礼自体が自宅で行われなくなったことにも起因するのだろう」(同前)
毎年の成人式のニュースを思い出してみるといい。加藤氏の指摘通り、社会的にも個人的にも大きな行事となっているらしい。「二分の一成人式」という行事があることを考えてみれば、大きくなるだけではなく、さらに広がりを見せている儀礼もある。
人生儀礼を「モノ」(博物館学的な使い方だが、博物館資料のことと思っていい)から見るという視点は長く学芸員だった方らしいと思う。素直に読むと「いま現在」モノとして残らなくなったように思うが、おそらくそうではない。儀礼からモノがなくなったのは、いまより少し前のことだ。多くの人が資料ーー特に民俗資料ーーを博物館に持ち込むのは、すでに家のなかで必要とされなくなったときである。だから、加藤氏が指摘するのは、いま現在のことというよりも、少し昔のことだと考えた方がいい。
儀礼は家で行われなくなった。ではどこで行われているのか。実は博物館自身が、その場のひとつである。古民家を中心にした館では年中行事が行われ、三月ともなれば雛人形の展示がはじまる。勤務先の館では、しばらく隔年に雛人形の展示をしていたこともあり、毎年問い合わせを受ける。 実際に民俗資料や民俗に関わっていると、気楽に「伝承が消えていく」などとも言えない。形が大きく、また早く変わるため、わかりづらいだけで、何らかの形で伝承は行われている。
それを自分が十二分に捉えられているのかどうかは、また別の話なのだけれど。