
※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。
短いエッセイ風の小作品だった。雪祭りについては、何度も著作のなかに表れる。雪祭りに関する言は、まとめ読みして把握すべきだろう。 この作品では折口の調査に対する姿勢が伺える。
「私は、村々の古典生活の調査に当つて、過重な感激に囚はれる事を、避けたい態度だと思うてゐる。其私すらも、此時は変な気がして、早川さんと、顔を見あはせた。其後も度々、二人で此を一つ話にした」(486p)
この「一つ話」というのが、タイトルにある雪祭りの面である。
引用が長くなるので要約すると、社の焼失に伴い焼失したお面を古老が作り直した。その後、役に就く人は口々にいずれも「昔のお面に生きうつしだ」と話すという。
折口は本祭りに先立って行われる「面しらべ」なる行事を紹介している。その行事は、「当役その他の人々がてんでに新しく、胡粉や、丹で彩色する」というものである。
「村の人は、此について、合理的な何の説明もせなかつたけれど、かうする事が、年々新しく、お面を作るのとおなじ効果のあるもの、と言ふ信仰を印象してゐる事が考へられた」(485p)
折口がよく使う表現に「印象」という言葉があるようだ。「俤」(おもかげ)という語も多い。私には両者とも同じ意味に思われる。忘れかけられた前代の記録を指しているらしい。
この行事を説明しはじめたとき、はじめに折口と同じ解釈が頭の中に浮かんだ。年々お面を作り直すという行事が変化し、生み出されたものと考えている。
古代あるいは事物の以前の形が推測されるものを「生活の古典」と呼んでいるらしい。