
伊波普猷が校註した『琉球戯曲集』の序として書かれた作品のため、なかなかこれ単独では理解しづらいように思う。 自分自身の芸能に関する関心の低さも相まって、ほとんど理解できずにいてしまった。 抜き書きしたのもたったのひとつだ。
「儀来河内・おぼつかぐら・なるこ・てるこ・まやなどと称する、遥かな國から来臨する神及び伴神は、青年の扮する所であつた。が、次第に、その神に常任する村の巫女が、神意を聴き、時としては神となると考へる様な、信仰形態の変化も、琉球国の各地の諸事由来記の伝承以前に、既に、行はれはじめた。だから、男が稀に聖役に当る事があつても、神に扮する者は、巫女となり替つた。琉球神道は、早く既に神を失うて、神に仕へる者を神と仰ぐ様になつてゐたのである。かう言う風になると、どうしても、村々の若衆の男神としての神業の、全部芸能に傾いて来るのは、当然である。村をどりを以て、巫女のみが神事をまねび、神あそびを行ふ以前から、伝つた神事芸能だと見るのは、此為である」(365p)
たったひとつだが、折口の言わんとするところは理解できた。「みこともち」だ。神の言葉を聴く巫女は、神と同じ資格によって、言葉を伝える。後々、巫女自身が神に近づいていく。「時として神になる」のは、そのためだ。ここまでは「みこともち」を当てはめただけに過ぎない。 面白いのはここからだ。
「男が稀に聖役に当る事があつても、神に扮する者は、巫女となり替つた」という。これはよくわからないが、おそらく具体的な民俗事象があったのだと思う。
男が直接神となるのではなく、巫女となる。巫女は神の「みこともち」なのだから、順繰りに神になることになる。こうなると折口の「みこともち」論においては、一段とばしは認められていないことになる。男が巫女の段階を飛ばして、神となることはできないようだ。
少しだけ「みこともち」論が見えてきた。折口の各理論は、成長あるいは深化するものなのか。それとも、初出の段階で理解できていないだけなのか。