
※以前別のブログで書いた文章をそのまま掲載しています。
「ひさかたの雨も降らぬか。雨づつみ、君にたぐひて、この日暮さむ/雨が降つて来てくれればいい。雨だから、今日はもう帰りますまいと云うて、あなたと並んで、一所に今日は暮さうものを(此は、旅人の若い頃の歌)」(162p)
『万葉集』を読み進めていると、古代の人もいまの私たちも、その心性はあまり変わらぬのではないか、という思いになってくる。 巻三や巻四には、恋人にあてた歌が特に多いように感じる。「会えなくて寂しい。あまりの寂しさに死にそうだ」とか、「会えないのなら消えてしまいたい」とか、そんな歌ばかりだ。
旅にいく人、いった人を思う歌も多い。これらの多くは、旅先の人を案ずる歌に思える。折口の旅に関する概念に、鎮魂の問題がある。旅先においては魂が離れやすい。だから、旅先では仮宿であっても祝う。その直会には歌が詠まれる。家で待つ人は待つ人で、旅する人の魂の一部が着いた床を動かさずにおく。あるいは、旅する人の衣にひもを結ぶ。
折口が述べる理論が『万葉集』の読解から生まれたことは、疑いようもない。ついつい流し読みをしてしまうが、折口の理解のためには避けて通ることはできない。しんどいけれど、少しずつ読んでいく。